
11/12/2017
ミカエル・ダイモンド、ペトロ・ダイモンド修道士 ーこの用語集・原則解説は、この本によく出てくるテーマや原則、表現に詳しくない読者のための良い参考になることを期待しております。用語集を分かりやすくするために、ABC順ではなく、テーマ順に並べました。ー ローマ教皇の職(教皇権・教皇制) (Papacy):聖ペトロの後継者である教皇の職。イエス・キリストは教皇制度を設立され(マタイ16:18-20;ヨハネ21:15-17)聖ペトロをキリスト教会の初代の長に定められた。ローマ司教は皆、聖ペトロの後継者であり、聖ペトロが使徒教会の中で持っていた同じ優位性を持っている。 教導権・教導職 (Magisterium):教皇が教皇権を持って、教義を宣言する時に行使される、カトリック教会の教導する権力。但し、真なる教皇の宣告は必ずしも教導職の教えではない。教皇が教導権を持って語る時は、(第一バチカン公会議によって定められた)幾つかの条件を満たす時のみ。教導職に忠実な人達は、歴史上全ての教皇が教義として教えた事や、カトリック教会の昔からの教えとして発明したこと全てに忠実である。 エクス・カテドラ (Ex Cathedra):ラテン語で「座から」という意味。教皇が、不可謬的な判決の条件を満たす時に、聖ペトロの使徒座から、不可謬的に語ることを表す。キリストが教会に明かした教義を構成する故、改革不可能(不変)である教皇のエクス・カテドラの判決を否定することは異端であり、大罪である。 ピウス9世、第1バチカン公会議、1870年、第四会期、4章:「・・・ローマ教皇が聖座から語るとき[エクス・カテドラ]、すなわちそれはすべてのキリスト者の牧者とし教師として、その使徒的な権威によって全教会が守るべき信仰と道徳の事柄に関して述べるなら、それはペトロの名において約束された聖なる力の助けを受けるものであり、教会の信仰と道徳に関する教えについて救い主から来る不可謬性が与えられる。そしてそのような決定は、それ自体によって教会の同意によってではなく、改正不能なものとなる。」[1] 天啓、神の教理 (Divine Revelation/Dogma):イエス・キリストの真理は天啓の教えである。カトリック教会は、天啓の二つの源は聖書と聖伝(聖なる伝統)であり、聖書と聖伝の内容は、カトリック教会の教導職によって定められる、と教えている。最後の使徒が死んだ時に、天啓が終わった。教理は不変である。教皇が教理を定義する時、教理がその時点から真実になるのではなく、教皇はただ、最後の使徒が死んだ時点から常に真実であったことを、誤らずに、荘厳に宣言するのみである。教理は、教会が「一度宣言した」時点から、決して「より深い解釈へ」と称してその意味から後退することなく 、信じるべきである。 ピウス9世、第1バチカン公会議、1870年、第三会期、2章、天啓について、エクス・カテドラ:「聖なる母教会が一度宣言した神聖な教理の解釈は、永久に保持すべきであり、見掛けだけの「より深い解釈」と称して、一度宣言された解釈から後退してはならない。」[2] ピウス9世、第1バチカン公会議、第三会期、4章、第三典文:「ある時点から、知識の進歩から判断すると、教会が定義した教理に、教会が解釈して理解している意義と異なった意義を与えることは可能であると言う者は排斥される。[3] 異端者 (Heretic):洗礼を受けた者で、カトリック教会の教理を拒絶する者を示す。異端者は、信仰に関する権威ある教理を拒絶するために、布告が無くても、教会から自動的に(それ自体によって)破門される。 レオ13世、サティス・コンニトゥム(Satis Cognitum)(9番)、1896年6月29日:「これら(の異端)をただ信じないと云うだけで、自らをカトリックだと考えたり、カトリックと自称したりすることはできない。なぜなら、この私達の回勅に解説されていない異端が既に存在している、或いはこれから現れる可能性があり、解説されていない一つの異端に固執している者はカトリックではない。」[4] 聖ピウス10世、エディテー・セーペ(Editae Saepe)(43番)、1910年、5月26日:「神を著しく怒らせ、神の恐ろしい激怒をもっとも刺激させる罪は、異端の罪他ならないことは、疑う余地のない既成の事実である。」[5] 教会分理論者 (Schismatic):洗礼を受けた者で、真なる教皇や真なるカトリック教徒との交わりを拒む者を示す。教会分理論者は、ほぼ必ず同時に異端者である。教会分理論者は自動的に破門を受ける。 背教者 (Apostate):洗礼を受けた者で、一つ以上のカトリック信仰の真理を否定するだけではなく、キリスト教を完全に離れる者を示す。背教者も、自動的に破門を受ける。 対立教皇 (Antipope):法王への偽りの主張者(即ち、ローマ教皇への偽りの主張者)を示す。教会の歴史上、40名以上の対立教皇が居た。その中に、ローマに影響力を及ぼした者も居た。この本は、第2バチカン改革が「真なる教皇」を装う対立教皇によって齎されたことを証明する。 使徒座空位、使徒座空位論 (Sedevacante; sedevacantist position):Sedeはラテン語で「座」を、Vacanteはラテン語で「空」を表す。使徒座空位の期間は、教皇が居ない期間である、要するに聖ペトロの使徒座は空位状態にある。一般的に、使徒座空位は、教皇が死亡し、または退位した時に生じる。使徒座空位は、教会の歴史上、200回以上生じ、場合によって、数年間に渡って続く。そして、教会博士は、教皇が明白な異端者になった場合、使徒座は空位になると教えている。使徒座空位論とは、ローマに影響力を及ぼしている者は公式な異端者であることを証明できる故に真なる教皇ではないので、聖ペトロの使徒座は現在空位であるという、伝統的なカトリックの見方を示している。 第二バチカン (Vatican II):1962~1965年に行われた公会議を示す。第二バチカンは、偽って「カトリック教会の公会議」と称されているが、実際には革新的な「強盗会議」であり、カトリック教会が非難している教理を教えている。第二バチカンは、新興宗教をもたらし、それをきっかけに生じた信じられないほど腐った実や革新的変化の原因となった。
29/10/2017
まず、十字架のしるしと使徒信経で始まります 続いて、上記の略図で示されている数珠に、主の祈り、それで信仰・望み・愛の向上のためにアヴェ・マリア3回、最後に 栄唱 を唱えます。 第一玄義を言明します(例:「喜びの第一玄義は受胎告知です。」)この神秘を黙想しながら、主の祈り、アヴェ・マリア10回、栄唱とファティマの祈り(「ああイエスよ」)を祈ります。 それに続く全ての玄義に当たり、3を繰り返します。 一日のロザリオの祈りの最後に、元后あわれみの母と終結の祈りを唱えます。 私たちは、毎日15連のロザリオの祈りを唱えることをお薦めします。聖母は、ファティマの出現にて、毎日ロザリオを唱えることの重要性を繰り返して強調しました。フランシスコが天国に行けるまで「多くのロザリオ」を祈らなければならないとさえ仰りました。毎日15連のロザリオを祈り切る方法は様々あります。しかし、一番成し遂げやすい方法は、一日のうちで様々な時間に部分的に祈ること、例えば、朝に喜びの神秘、正午に苦しみの神秘、夕方に栄えの神秘を唱えることです。「元后あわれみの母」は一日のロザリオの祈りの最後に、一度だけ唱えれば良いです。 ロザリオに不可欠なのは、玄義、すなわち主イエス・キリストと聖母の人生における経験を黙想することです。要するに、玄義を思い描いたり、想像したり、神秘が示している恵みや功徳について熟考したりすることを、神様をもっと知り、もっと愛するための刺激として使用することです。一玄義ごとに、特定の美徳に心を注ぐことは一般的ですが、聖ルイ・ド・モンフォールの美徳のススメは以下の通りです。 喜びの神秘 美徳(聖ルイ・ド・モンフォール) 1. 聖処女マリア、神のお告げを受ける 謙虚 2. マリア、従姉妹エリザベトを訪問 隣人への愛 3. 主イエス・キリストの降誕 世俗的な物への無関心、富の軽視、貧乏への愛 4. 幼子イエス、神殿にて捧げられる&聖母の清め 身体と魂の純潔 5. 主イエスを神殿で見出す 神聖な知恵 苦しみの神秘 美徳(聖ルイ・ド・モンフォール) 1. 主、園にて苦しみ悶える 罪に対する悔恨 2. 主、むち打たれる 難行、肉体の抑制
14/10/2017
gloria.tv “ 1960年頃、悪魔払いの祈祷師(エクソシスト)で有名になったローマ人、ガブリエレ・アモルト神父(✞2016年)は、ピエトレルチーナのピオ神父(✞1968年)と会談し、ファティマ第三の秘密について話しました。2011年のインタビューで、アモルト神父はピオ神父との会談について言及し、その内容が、『The Best Kept Secret of Fatima (ファティマの最もよく守られている秘密)』という本で最近になってやっと公開されました。 ピオ神父は、アモルト神父に次のように発言しました:「サタンは、教会の懐に持ち込まれました。そして、彼はごく短期間で偽りの教会を支配するようになるでしょう。」アモルト神父曰く、ピオ神父は、ある問題に「非常に苛まれていました」。それは『教会内の大棄教』でした。
「LGBTQ」運動が虹色を使用しているのは、世の終わりの前兆である
MHFM: そうですね、私たちもそう思います。まるで、彼らは虹(神様が二度と洪水を起こして全世界を破壊しないという約束のしるし)を盾にして、滅亡から自分たちの身を守ろうとしているようですが、それに対して神様はこう言います:「それなら、違う方法(例えば、火)で世界を破壊しようか。」聖書は、世の終わりが火による崩壊と関連している事を具体的に教えています。 ペトロの手紙 ニ3:7 「しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取って置かれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。」 虹が、とても憎むべき運動、恥ずべき行為なのに一般化され世界中に受け入れられている「LGBTQ」運動と関連して使用されている事(しかもこの不愉快な行為が神によって火で破壊・撲滅されることが知られている〈例:ソドムとゴモラ〉)は、私たちがどれほど世の終り、すなわち神が地球を火で破壊・浄化する時、に近いかを示している、更なる前兆です。 ユダの手紙 1:6~7 「一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。」