Br.ミカエル・ダイモンド|Br.ペトロ・ダイモンド
ーこの用語集・原則解説は、本書によく出てくる表現やテーマ、原則に詳しくない読者のための良い参考になる事を期待しております。用語集を分かりやすくするために、ABC順ではなく、テーマ順に並べました。ー
教皇職(Papacy):キリスト教会のかしらとして聖ペトロの上にイエスが創設された(マタイ16:18-20;ヨハネ21:15-17)、聖ペトロの後継者である教皇の職位。ローマ司教は聖ペトロの後継者。聖ペトロが使徒教会において持った同じ首位権を持つ。
教導権・教導職(Magisterium):教皇が教皇権をもって、教義を布告する時に行使するカトリック教会の教える権能。真の教皇の宣言はすべて教導職の教えな訳ではない。教皇は、ある条件を満たすと、教導権的に語る(第一バチカンに定義された通り)。教導職に忠実な者は、歴史上すべての教皇が教義的にカトリック教会がずっと守っている事として教えた、或いは定めた事に忠実な者。
エクス・カテドラ(Ex Cathedra):ラテン語で「座から」の意。教皇が不謬宣言の諸条件を満たす時に聖ペトロの使徒座から不謬に語る事を指す。教皇の改革不可能(不変)であるエクス・カテドラの宣言を否定する事は異端と大罪。何故なら、それはキリストが教会に啓示してくださった教義を構成する。
教皇ピオ9世【第一バチカン公会議】1870年、4会期4章:
「…教皇がエクス・カテドラ語る時[ペトロの使徒座から]、即ち、全キリスト教徒の司牧者および教師の任務を自分の最高の使徒的権威に沿って実行して普遍教会が守るべき信仰か道徳に関する教理を解説する時、福者ペトロにおいて約束された神的な御助けにより、信仰と道徳についての教理を定義するうちに教会が教導される為に神的な贖い主の望まれた不可謬性で働いている。故にそんなローマ教皇の定義はそれ自体によって、教会の同意によらず、改正不可能なものとなる。」[1]
天啓・啓示/教義(Divine Revelation/Dogma):イエス・キリストの真理は天啓の教え。カトリック教会は天啓の二大源泉は聖書と聖伝だと教えている。それらの真の内容はカトリック教会の教導権によって定められる。天啓は最後の使徒の死没にて終わった。教義は不変。教皇は教義を定義する際、あの時点から先教義を真実にする訳でなく、それどころか彼は最後の使徒の死没以降常に真実であった事を誤りなく、厳かに宣言する。教義は、教会が「一度宣言した」通り、「より深い理解」という見掛け倒しな名においてあの意味から後退せずに、信じられるべきものだ。
教皇ピオ9世【第一バチカン公会議】1870年、3会期2章、『啓示について』、エクス・カテドラ:
「その為、また、聖なる母教会が一度宣言した聖なるの理解は永続的に保持されねばならない。それに、「より深い理解」という見掛け倒しな名においてあの意味から後退しては決してならない。」[2]教皇ピオ9世【第一バチカン公会議】3会期4章3条:
「誰もが、ある時点にして、知識の進歩にて、教会の提起した教義に対して教会がかつて理解し、今理解している意味と異なった意味をつける事が出来ると言えば、その人は呪われよ。」[3]
異端者(Heretic):カトリック教会の教義を拒絶する洗礼を受けた者。異端者は「信仰」に関する権威ある教えを拒絶するために、何の宣告もなく教会から自動的に(事実そのものによって)破門される。
教皇レオ13世『Satis Cognitum』(#9)、1896年6月29日:
「ただ全部(これらの異端諸説)を信じないだけで自分がカトリックと考え、或いはそう自称する事は誰も出来ない。何故なら我々の本書に書かれていない他の異端もあるか起こるかもしれない。また、誰もがそれらを一つでも抱ければ、彼はカトリックではない。」[4]聖教皇ピオ十世『Editae Saepe』(#43)、1910年5月26日:
「そんなに神を深刻に怒らせ、神の最大な逆鱗に触れるほどの罪は、異端の悪徳に他ならないというのは定かで、既成の事実である。」[5]
離教者(Schismatic):真の教皇または真のカトリック信者と交わりを拒否する洗礼を受けた者。離教者はほぼ必ず異端者でもある。離教者は自動的破門も受ける。
背教者(Apostate):カトリック信仰の真理を一つ以上否定するだけでなく、キリスト教信仰を完全に捨てる洗礼を受けた者。背教者は自動的破門も受ける。
対立教皇(Antipope):教皇位の偽請求者(即ち、ローマ司教位の偽請求者)。教会史上対立教皇は40名以上おり、ローマでも統治する場合もあった。本書は第二バチカン革命が真の教皇を装う対立教皇たちによってもたらされたと証明している。
使徒座空位;教皇座空位論(Sedevacante; sedevacantist position):Sede はラテン語で「座」の意、Vacante はラテン語で「空」の意。使徒座空位期間は教皇のいない期間:聖ペトロの使徒座は空位。普段は教皇の死没あるいは退任から起こるもの。教会史上200回以上起こって、数年間までもの場合もあった。教会博士たちは、教皇が明白異端者になったなら、聖ペトロの使徒座が空位になるとも教えている。教皇座空位論とは、ローマにいる人が公の異端者だと証明できる、故に真の教皇ではないと主張する伝統的カトリック教徒の立場を表す。
第二バチカン会議(Vatican II):1962年 – 1965年に行われた会議。第二バチカン会議は「カトリック教会の公会議」と自称したが、実は革命的で、カトリック教会に非難された教理を教えた「強盗会議」であった。第二バチカン会議は新宗教を持ち込み、その後に信じられないほど腐った実と革命的な変のに責任を負った。
第二バチカン・セクト(Vatican II Sect):この単語は、第二バチカン会議後に現れたカトリックの預言と聖書において預言された偽物の教会を表す。本書がだいぶ詳しく証明する通り、この偽物のセクトは異端・背教・とんでもないつまずきに溢れている。本書は第二バチカン・セクトがカトリック教会ではなく、大背教中に人々を惑わせる悪魔の偽物だと証明している。
ノヴス・オルド・ミッセ(Novus Ordo Missae):ラテン語で新しいミサ式次第の意。1969年4月3日にパウロ6世の発布した「新しいミサ」を指す。
ノヴス・オルド教会(Novus Ordo Church):本書では、基本的に「第二バチカン・セクト」という用語と同意義。第二バチカンの偽物の教会、新しいミサ、それに従う人々を表す。
伝統的カトリック教徒(Traditional Catholic):単に古往今来のカトリック信仰に従い、教皇の宣言した教義、教会の伝統的な儀式を守るカトリック信者。伝統的カトリック教徒は第二バチカンの偽宗教や新しいミサ(ノヴス・オルド)を受け入れない。何故なら、それらはカトリックの教えに反する新奇なものだから。
偽伝統主義者(False Traditionalist):伝統的カトリック信仰にある程度従う(例えば、エキュメニズムや第二バチカンの一部に抵抗)が、偽りの第二バチカン・セクトに若干の忠誠を抱いている者。「偽伝統主義者」の第二バチカン・セクトに対する忠誠は普段第二バチカン会議後の”教皇”を真の教皇として受け入れるから。ところが第二バチカン会議後の”教皇”は対立教皇だと証明される事ができる(本書で示されるように)。
エキュメニズム(Ecumenism):偽宗教を尊敬し、彼らと一致し、彼らと共に祈り、彼らを尊重する為の第二バチカンと第二バチカン会議後の”教皇”の教えを指す。”エキュメニズム”は、第二バチカン・セクトに教えられ実践されるようなら、カトリックの教え、教皇たち、教会の全聖伝によって直接に非難されるのだ。エキュメニズムは真の宗教を偽宗教並みに、真の神を偽神並みにすることだ。第二バチカン・セクトのエキュメニズムは本書でだいぶ詳しく暴露される。ある人は、厳密に言うと、エキュメニズムはプロテスタント・離教のセクトと一致するという異端的な実践を指しながら、非キリスト教の宗教との同じ実践を指すのは諸宗教対話だと言っている。が、今日この頃両用語は基本的に同意義。
非カトリックの宗教に関するカトリックの諸概念
非カトリックの宗教は偽り/カトリック教会の外には救いがない:カトリック教会は、教義として、真の宗教は一つであり、真の神は一つであると教えている。教会は、すべての非カトリックの宗教が偽りで、悪魔のものだと教えている。教会の外に救いなし(extra ecclesiam nulla salus)とはカトリック信仰の教義の一つ。この教義は、もう教皇たちによりエクス・カテドラ、7回定義された。
教皇大聖グレゴリオ『Summo Iugiter Studio』引用、590年 – 604年:
「聖なる普遍教会は、教会の内でなければ神を崇拝する事は不可能であり、かつ教会の外にいる者は皆救われないと教えている。」[6]教皇エウジェニオ4世【フィレンツェ公会議】『Cantate Domino』1441年、エクス・カテドラ:
「聖なるローマ教会は、次の事を固く信じ、公言し、宣べ伝える:カトリック教会の外にいる全ての者は、異教者だけでなく、ユダヤ教徒や異端者、離教者であっても、人生の終わる前に教会と結ばれない限り、永遠の命においては共有できず、悪魔とその使いの為に用意された絶えざる火に入る事になる。この教会的な体の一致の重要さは、その一致にとどまる者にしか、教会の秘跡が救いに貢献し、かつ断食と施しとキリスト教の軍勢の他の信心業・実践が永遠の報いをもたらす事はしないほどである。また、カトリック教会の懐と一致の内で堅忍しない限り、どれほど施し物を与えるかにも関わらず、キリストの御名において血を流したとしても、誰も救われる事が出来ない。」[7]
異教/他の神々への崇拝(Paganism/the worship of other gods):異教という用語は、偽りの、多神論的な宗教を指す。例えば、仏教、ヒンドゥー教など。カトリック教会は、異教の成員の崇拝する神々が悪霊だと教えている。
詩編96:5「異邦人の神々はすべて悪霊…」
1コリント10:20「異邦人が供える物は神にではなく悪魔に備えるのだと私は言う。あなたたちが悪魔と交わるのを私は望まない。」
教皇ピオ11世『Ad Salutem』(#27)、1930年4月20日:
「…偽神々への崇拝によって、悪霊が人の人生に導入する、あらゆる衝動や愚か事、あらゆる暴行や色欲…」[8]
イスラム教(Islam):偽預言者ムハンマドが啓示した偽宗教。イスラム教徒はムスリムとも呼ばれ、『コーラン』という書に従う。ムスリムは、三位一体とキリストの神性を拒絶する。カトリックの教えによれば、イスラム教は憎むすべき悪魔的なセクト(即ち悪魔由来のセクト)。ムスリムは不信者(不信仰者)であり、救いのために改宗させられねばならない。
教皇エウジェニオ4世【バーゼル公会議】1434年:
「…マホメットの憎むべきセクトに所属する人々は非常に多くカトリック信仰へと改宗させられる希望がある。」[9]教皇カリスト3世:
「私は…真の信仰を高め、東方で無信仰の、堕落者たるマホメットの悪魔的なセクト[イスラム教]を根絶するように誓う。」[10]
第二バチカン・セクトはイスラム教に賞賛を重ね、善い宗教とする。
ユダヤ教(Judaism):イエス・キリストをメシアと認めなく、モーセの仲介を通して与えられた古い律法を実践しようとする宗教。ユダヤ教によれば、メシアはまだ初めて来ていない。カトリック教会は、古い律法がキリストの来臨によって取り消され、古い律法を遵守し続ける事は大罪であると教えている(フィレンツェ公会議)。また、ユダヤ教の信奉者たちがイエス・キリストとカトリック信仰へと改宗せねば救われないと教えている。
教皇エウジェニオ4世【フィレンツェ公会議】1441年、エクス・カテドラ:
「聖なるローマ教会は次の事を固く信じ、公言し、教える:旧約の律法、即ち、式典・聖なる儀式・生贄・秘跡に分類されるモーセの律法に関する事柄は…私達の主の来臨後…終止して、新約の秘跡が開始した。…故に、あの時点以来(福音の発布)、割礼や安息日、律法が定めた他の要件などを遵守する者は皆、キリスト教信仰に無縁で、永遠の命にあずかるにちっとも適していない、と聖なるカトリック教会は宣言する。」[11]教皇ベネディクト14世『A Quo Primum』1751年6月14日:
「教会が、無信仰のユダヤ人の為に、彼らの闇から真理の光に救い出されるように、日出から日没まで捧げられる普遍的な祈祷を定めたのが、無駄な事でないのは間違いない。」[12]
正教/東方正教徒(Orthodoxy/Eastern Orthodox):1054年に起こったカトリック教会からの離教に従う者。”正教徒”は、教皇権・教皇不可謬説という教義および教会の最後の13の教義的公会議を拒絶する。離婚も再婚も許可する。カトリックの教えにおいて、彼らは異端者・離教者とされる。”正教徒”は、一致と救いのために改宗させられねばならない。
教皇ベネディクト14世『Allatae Sunt』(#19)、1755年7月26日:
「第一に、神の御助けによって、ギリシャ離教者と東方離教者を教会の一致に戻そうとしている宣教者は、彼らをカトリック信仰と食い違った諸教理から救い出すという単一の目的に全力を尽くすべきである。」[13]
それなのに、第二バチカン・セクトは、”正教徒”が救いのために改宗不要と言っている。真の教会の一部であり、救いの道にいると教えている(本書で証明されるように)。
プロテスタント教徒(Protestants):1517年に起こったマルティン・ルターの乱後、カトリック教会から分裂したセクトに従う者。プロテスタント教徒は、カトリックの教義の一面以上を拒絶する者。カトリックの教義を一つでも拒絶したり、それに抗議(プロテスト)したりする者は異端者であり、事実そのものによって破門される。プロテスタント教徒が一般的に拒絶するカトリックの教義は、司祭職、ミサ聖祭、諸秘跡、教皇制度、信仰および善行の必要性、聖人の取り次ぎ等々における領域に当たる。
教皇ピオ11世『Rerum omnium perturbationem』(#4)、1923年1月26日:
「…[プロテスタント]改革によって生じた異端諸説…。これらの異端においては、教会からの人類背教の始原が見出される。」[14]教皇レオ12世『Ubi Primum』(#14)、1824年5月5日:
「最善の、最も知恵深い扶養主、かつ善人の報い主、真理そのものである至真なる神には、しばしば互いに一致せず、矛盾している偽りの教えを公言するあらゆるセクトを認め、それらの成員に永遠の報いを授ける事は不可能である。…神的な信仰によって我々は、主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つと抱いており…。それ故に我々は、教会の外に救いが無いと公言している。」[15]
だけど、第二バチカン・セクトは、プロテスタント教が異端ではなく、プロテスタント教徒が異端者でもなく、彼らの諸々のセクトが救いに至る手段であり、真の教会の一部であると主張している。
本書中で用いられている他の重要なカトリックの概念
カトリックは非カトリックの礼拝式に参加してはいけない:第二バチカン会議前、すべてのカトリック道徳神学説明書は、非カトリックの礼拝式に参加する事が神定法に背く大罪であるという教会の伝統的な教えを繰り返して表明している。第二バチカン会議後、この死に至る罪深い行為は公式的に促進されている(例:本書の第二バチカン・セクトvs.カトリック教会、非カトリックの礼拝式の参加についてという章を参照)。
教皇ピオ11世『Mortalium Animos』(#10):
「という訳で、尊敬すべき兄弟たちよ、この使徒座が、何故臣下たちが非カトリック教徒の集会に参加する事を一度も許可しなかったかははっきりしている。」[16]
異端は行いにも表される:声明書や口頭宣言で異端を表す人もいるが、殆どの異端・背教は口言葉ではなく、行いで表される。人達は、シナゴーグやモスクなど非カトリックの神殿・寺院を訪ねたり、プロテスタント教徒と離教者との教会堂で礼拝式に参加したりすると、異端・背教を表す。
聖トマス・アクィナス『神学大全』Ⅰ-Ⅱ部103問4答:
「全ての式典は、神への内面的な崇拝がそれに基づく信仰公言である。さて、人は行いおよび言葉によって、内面的信仰の公言をする事が出来る。そしてどちらの公言においても、彼は偽りの宣言をすれば大罪を犯す。」[17]
そのために、誰もがムハンマドの墓で崇拝すれば背教者となる、と聖トマス・アクィナスは教えた。そんな行動だけでも、自分がカトリック信仰を持っておらず、偽りのイスラム宗教を容認すると示す。
聖トマス・アクィナス『神学大全』Ⅱ部12問1答2異論:
「…もし誰もが…マホメットの墓で崇拝すれば、彼は背教者だと判断される。」[18]教皇ピオ9世『Ineffabilis Deus』1854年12月8日、無原罪の御宿りの定義にて:
「…もし心の中で[本教令に反して]考えている事を、敢えて言葉や文章、あるいはその他の外的な手段で示せば、自分の行為によって、法で定められた刑罰によって罰せられる。」[19]
無原罪の御宿りという教義に反する異端は、言葉・文章・「他の外的な手段」によっても示される事がここで分かる。事実、自著の『Principles of Catholic Theology』にて、第二バチカン会議後セクトが東方離教者に対して行った事のあるエキュメニズムの行動や表示は、まさに離教者が教皇首位権を認める必要がない事を表すとベネディクト16世は認めた。
ベネディクト16世『Principles of Catholic Theology(カトリック神学の原則)』(1982年) 198頁:
「一方、唯一の可能な形で、故に全キリスト者に対し拘束力を持つのは、この首位権[教皇首位権]が19,20世紀になってきた形だけだと考えることも不可能です。教皇パウロ6世の象徴的な意思表示、特に彼がエキュメニカル総主教[アテナゴラス離教者総主教]の代表者の前に跪いたのは、まさにこの旨を表すための試みでした…。」[20]
この事は本書の中で詳しく説明する。しかし、これは第二バチカン・セクトの現指導者の驚くべき告白:エキュメニズムの行動は教皇首位権に対する異端を表す。これは行いによる異端表現の明確な一例。
カトリック教会は反対意見の持ち主をみな拒絶する:カトリック教会の教義的な教えを否定する者は、みな教会によって非難・アナテマ化・拒絶される。
教皇ペラジオ2世、手紙(1)『Quod ad dilectionem』585年:
「ただし、誰もがこの信仰に反して示唆するか、あるいは信じるか、あるいは教えようとうぬぼれて思えば、彼は同じ師父たちのご意見によって非難され、またアナテマ化されると知らせよ。」[21]教皇エウジェニオ4世【フィレンツェ公会議】『Cantate Domino』1441年:
「従って、[教会は]反対意見や相反する意見を持つ者は誰でも非難し、拒絶し、アナテマ化し、教会であるキリストの体の外にいると宣言する。」[22]
キリストは全教義の保証人である以上、カトリック教会の教義を一つも拒むのは全信仰を拒んだも同然
教皇レオ13世『Satis Cognitum』(#9)、1896年6月29日:
「…それらの真理の一つでも拒む事は、事実そのものによって異端に陥らず、誰にとっても合法であり得るであろうか?教会から自らを離れさせず?一挙にキリスト教の教え全体を退けず?それは信仰の本性なので、あるものを受け入れあるものを拒むというより不条理な事はないという事である。…ただし、神的に啓示された真理を一点でも異にする者は絶対的に全信仰を拒む。それによって神を最高真理および信仰の形相的動機として敬う事は拒否するからである。」[23]教皇レオ13世『Satis Cognitum』(#9)、1896年6月29日:
「これらの原則の上に成り立っており、自分の仕事に留意する教会は、どんなことよりも、信仰の統合性を守ることに対する熱意や努力が一番強い。従って、自分の教理のうちのいずれか一つの点に関する信念と異なった信念を持つ者をみな、自分の子供ではない謀反人とみなし、排斥してきた。アリウス派、モンタノス派、ノウァティアヌス派、十四日主義者、エウテュケス派等は、確かに全てのカトリックの教理を否定しておらず、たった一部のみ否定した。しかし、彼らが異端者として宣告され、教会の懐から追い払われたことを知らない人はいるだろうか。同様に、現在に至るまで、彼らの後を継いだ異端的信条の創造者はみな非難されてきた。教理全体をほぼ完全に認めているが、さりとて、毒の一滴のように、たったひとつの言葉で、我らの主が教えられ、使徒伝承によって伝えられてきた単純かつ真の信仰を汚染するような異端者ほど危険なものはあり得ない。」[24]
カトリックは異端者と霊的に交わらない:カトリック教会の信仰を否定する者はみな、教会の外にあり、決して交わることがないので、本当のカトリックは彼らと霊的に交わってはいけません。
教皇レオ13世『Satis Cognitum』(#9)、1896年6月29日:
「教会の厳然たる教導職が出す教理のうちのいずれか一つの点から微々たる程度でさえ背く者を皆、教会に無縁とし、またカトリックの交わりの外にあるといつも見なしていた教父達の一致した教えによって示されているように、教会の慣習はこれまでずっと同じである。」[25]教皇大聖レオ、説教129:
「それゆえ、カトリック教会の外に何も完璧なもの、何も汚れのないものはないので…我々は、キリストの御体の一体性から分かれている者たちと決して結び付けられておらず、彼らと何の霊的な交わりもない。」[26]
司教や教皇を含め、信仰からそれる聖職者に抵抗すべき;聖職者が公然と異端者になれば、自動的にその職を失う
188条4号『1917年版教会法典』:
「暗黙の辞職を発効させる幾つかの原因があり、その辞職は法の作用により予め受理され、そしてそれ故に宣告なしに効力を発する。原因は以下の通り…(4)聖職者が公然と信仰からそれた場合。」[27]教皇レオ十三世『Satis Cognitum』(#15)、1896年6月29日:
「ペトロと同じ宗派に属している者のみ彼の権力を分かち合うことができる。教会の外にいる者が教会のうちに指導権を持つことができるなんて全く馬鹿げている。」[28]
公然たる背信行為とは何?
2197条1号『1917年版教会法典』:
「罪は[以下の場合]公然である:(1)既に周知であり、或いは、よく知られやすいという結論につながるような状況の場合…」[29]聖ロベルト・ベラルミーノ『De Romano Pontifice』2巻30章:
「最後に、神聖な父達[ローマ教皇たち]は、異端者が教会の外にあるだけではなく、「事実それ自体により」聖職の権威や威厳を全て剥奪されると全員一致に教える。」ドン・プロスペル・ゲランジェ『典礼暦年』4巻379頁、5世紀の平信者が自分の司教であるネストリウスが明白異端を示したら彼に抵抗して糾弾した件について:
「その時、サタンはネストリウスを産んだ…コンスタンティノープルの座に就いており…ネストリウスが昇進した年、428年、クリスマスの日に、彼は乙女の母と御子を祝しに集まってきた大勢を巧みに利用し、主教の説教壇から冒涜的な言葉を発した:『マリアは神を産んでいない。彼女の息子はただの人間であり、神の道具にすぎない。』大勢は恐怖で身震いした。エウセビウスという素朴な平信者は大衆の義憤を言葉にし、この不信心な行為に抗議した。すると、すぐに明確な抗議が作成され、この悲嘆に暮れた教会の成員の名において広まった。その結果、『父なる神のひとり子とマリア様の御子は別人だ』と敢えて言う者は破門されるようになった。このビザンティウムの守護であった寛大な態度は、教皇たちや公会議から称賛を得た。羊飼いが狼になった時、群れの第一の義務は、身を守ることである。」[30]教皇聖チェレスティノ5世、聖ロベルト・ベラルミーノによる引用:
「我らの使徒座の権威は、ネストリウスが異端を説教し初めた時点から彼やその信者により退位・破門された司教や聖職者、平信者等は、退位・破門されていないとする。なぜなら、異端的な説教のため信仰に背いた者には、人を退位させたり破門したりする権力を一切持っていないからである。」[31]聖ロベルト・ベラルミーノ『De Romano Pontifice』2巻3章:
「明白な異端者になった教皇は自動的に(本質的に)教皇や長ではなくなる。同時に、自動的にキリスト教徒や教会の成員ではなくなるように。そのため、教会は彼を裁き懲らしめることができる。これは、古代の教父達の一致した教えである。彼らは、明白な異端者は自動的に全ての権威を失うと教えている。」聖ロベルト・ベラルミーノ『De Romano Pontifice』2巻3章:
「原則は極めて確実である。カイェタン自身が認めているように(ib. c. 26)、非キリスト教徒は、形がどうであれ、教皇職を持つことができない。その理由は、自分が属していない団体を率いることは不可能であり、キリスト教徒ではない人は教会に属していない。聖キプリアヌス(lib. 4, epist. 2)、聖アタナシオス(Scr. 2 cont. Arian.)、聖アウグスティヌス(lib. De great. Christ. Cap. 20)、聖エウセビウス(contra Lucifer.)等がはっきり指摘したように、明白な異端者はキリスト教徒ではない。従って、明白な異端者が教皇職を持つことは不可能である。」聖フランシスコ・サレジオ(17世紀)教会博士『The Catholic Controversy(カトリック論争)』305-306頁:
「彼[教皇]が明示的な異端者になれば、事実それ自体により教皇位から落ち、教会から分かれる・・・」[32]聖アントニーノ(1459年):
「教皇が異端者になった場合、その事実のみによって、他の宣告なしに、彼は教会から切り離されていることになる。切り落とされた首は、身体から分離されている限り、その身体の首として機能することができない。従って、異端により教会から分離されている教皇は、事実それ自体により教会の首位の座を失ってしまう。異端者でありながら教皇であり続けることはできない。なぜなら、異端者は教会の外にあるので、教会の鍵を有することはできない。」(神学大全、Actes de Vatican I.引用、Frond 出版)聖ロベルト・ベラルミーノ『De Romano Pontifice』2巻3章、異端者である人を裁くことに関して:
「…人は他人の心を見抜く義務がなくその能力も持たない。しかし、他人の外的行為を見て異端者だと分かった時、人はただ単に全くの異端者だと判断し、異端者として非難する。」[33]
非変節性(Indefectibility):キリストがいつまでも教会とともにおられ(マタイ28章)、また陰府の門は教会に打ち勝てない(マタイ16章)という、キリストの約束を指している。非変節性とは、教会が世の終わりまで本質的には変わらないままであるという意味。教会の非変節性は、以下を必要とする:世の終末の時代に、教会の残存者がごく一握りの人数でも必ず生きている、教会の正式な教義は誤らない、真なる教皇は決して教会全体に向かって命令的に誤りを教えない。非変節性は、教皇を装う対立教皇を除外していないし、終末の時代に真なるカトリック教会の成員をごく一握りの人数まで減らす偽りのセクトをも除外していない。寧ろ、これが正に終末の時代に起こると預言されたことであり、アリウス派危機の時にも起きたことである。
出典:
[1] Denzinger, The Sources of Catholic Dogma, B. Herder Book. Co., Thirtieth Edition, 1957, no. 1839.
[2] Denzinger 1800.
[3] Denzinger 1818.
[4] The Papal Encyclicals, by Claudia Carlen, Raleigh: The Pierian Press, 1990,Vol. 2 (1878-1903), Vol. 2 (1878-1903), p. 393.
[5] The Papal Encyclicals, Vol. 3 (1903-1939), p. 125.
[6] The Papal Encyclicals, Vol. 1 (1740-1878), p. 230.
[7] Denzinger 714.
[8] The Papal Encyclicals, Vol. 3 (1903-1939), p. 381.
[9] Decrees of the Ecumenical Councils, Sheed & Ward and Georgetown University Press, 1990, Vol. 1, p. 479.
[10] Von Pastor, History of the Popes, II, 346; quoted by Warren H. Carroll, A History of Christendom, Vol. 3 (The Glory of Christendom), Front Royal, VA: Christendom Press, p. 571.
[11] Denzinger 712.
[12] The Papal Encyclicals, Vol. 1 (1740-1878), pp. 41-42.
[13] The Papal Encyclicals, Vol. 1 (1740-1878), p. 57.
[14] The Papal Encyclicals, Vol. 3 (1903-1939), p. 242.
[15] The Papal Encyclicals, Vol. 1 (1740-1878), p. 201.
[16] The Papal Encyclicals, Vol. 3 (1903-1939), p. 317.
[17] St. Thomas Aquinas, Summa Theologica, Pt. I-II, Q. 103., A. 4
[18] St. Thomas Aquinas, Summa Theologica, Pt. II, Q. 12, A. 1, Obj. 2:
[19] Denzinger 1641.
[20] Benedict XVI, Principles of Catholic Theology, San Francisco: Ignatius Press, 1982, p. 198.
[21] Denzinger 246.
[22] Denzinger 705.
[23] The Papal Encyclicals, Vol. 2 (1878-1903), p. 394.
[24] The Papal Encyclicals, Vol. 2 (1878-1903), p. 393.
[25] The Papal Encyclicals, Vol. 2 (1878-1903), p. 393.
[26] Quoted in Sacerdotium, # 2, Instauratio Catholica, Madison Heights, WI, p. 64.
[27] The 1917 Pio-Benedictine Code of Canon Law, translated by Dr. Edward Von Peters, Ignatius Press, 2001, p.
[28] The Papal Encyclicals, Vol. 2 (1878-1903), p. 401.
[29] The 1917 Pio-Benedictine Code of Canon Law, translated by Dr. Edward Von Peters, p. 695.
[30] Dom Prosper Guéranger, The Liturgical Year, Loreto Publications, 2000, Vol. 4, p. 379.
[31] Quoted by St. Robert Bellarmine, De Romano Pontifice, II, 30.
[32] St. Francis De Sales, The Catholic Controversy, Rockford, IL: Tan Books, 1989, pp. 305-306.
[33] St. Robert Bellarmine, De Romano Pontifice, II, 30.


